Quinary - 第五紀

カイロ


2023年10〜11月、数十年ぶりのエジプト訪問
首都であり桁違いの大都市でありピラミッドをはじめエジプト各地への起点でもあるが、カイロの街自体には観光スポットは意外に少ない
ここではカイロ博物館とイスラム地区を紹介し、カイロ近郊のピラミッド(ギザ、サッカラ、ダフシュール、メイドゥームは別ページ)に掲載


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エジプト考古学博物館 ☆☆☆☆☆

ツタンカーメン王墓から発掘された副葬品を含む古代エジプトの遺品を収蔵展示する世界的にも有名な博物館
但し、ツタンカーメン王の黄金のマスクをはじめとした豪華絢爛たる副葬品を収めた展示室は撮影禁止
ギザに建設中の大エジプト博物館に移る予定だが、当初予定の2020年を大幅に過ぎた2023年末時点でも未完だった

ピラミッドの王たち

クフ王座像

カフラー王座像

メンカウラー王立像

ジュセル王座像

ピラミッド・キャップ・ストーン


アマルナ美術

アクエンアテン立像

アクエンアテン棺

ネフェルティティ頭部像


ツタンカーメン王関連(撮影可能なもののみ)

胸像

立像

玉座


そのほか

ナルメル王のパレット

書記座像

セネブと家族の像

大工インティシュドの像

ウセルカ王の頭部像

メンテュホテプ王座像

ハトシェプスト葬祭殿オシリス柱

ハトシェプスト葬祭殿スフィンクス

アクエンアテン王と妻

カノプス壺

厨子

アヌビス神の厨子


イスラム地区 ☆☆☆

古代エジプト神話の時代を経て紀元7世紀から現代にいたるエジプトはイスラム教世界でありカイロはその中心地であった
フトゥーフ門からシタデルまで約3kmのエリアには歴史的に重要なイスラム建築が数多く存在しイスラム地区とよばれる
掲載は地図にあわせておおむね北から南の順だが、チケットを買うには南から北へ向かうほうが便利
各施設は入場無料だったりチケットが複数施設にまたがっていたりエリアチケットだったりと複雑

フトゥーフ門、ナスル門

カイロ旧市街の城壁に残る3つの門のうちの北側の2つ
フトゥーフ門(征服門)は10世紀に建てられ11世紀後半に再建、ナスル門(勝利門)は11世紀の建造

フトゥーフ門 ☆☆

ナスル門 ☆☆


アル・ハキーム・マスジッド ☆☆☆

990年建設。ファーティマ朝の第6代カリフであり第16代イスマーイール派イマーム(指導者)であるアル・ハキーム・ビ・アムル・アッラーにちなむ

サビール・スレイマン・アガ・スィラフダール ☆☆☆☆

ムハンマド・アリ朝1839年に建てられたモスク。サビール(水飲み場)とクッターブ(小学校)の複合施設

アクマール・モスク ☆☆☆

ファーティマ朝1125年、宰相アル・マズムン・アル・バタイヒによって建てられたモスク

サビール・クッターブ・アブドゥル・ラフマーン・カトフダー ☆☆☆

マムルーク朝1744年に建てられた建築物でサビールとクッターブからなる。内部に入ることはできない

バシュターク宮殿 ☆☆

14世紀にマムルーク朝のアミール・サイフ・アルディン・バシュターク・アル・ナシリによって建てられた宮殿

イナル・ハマム ☆☆☆

マムルーク朝時代の1456年に建てられたハマム(公衆浴場)。19世紀末までに約80のハマムが造られたが数少ない保存状態の良いハマム

スルタン・アル・ザヒール・バルクーク・マドラサ ☆☆☆☆

マムルーク朝スルタン・アル・ザヒール・バルクークが建てたモスク、マドラサ、霊廟等からなる宗教複合施設

スルタン・アル・ナースィル・マドラサ ☆☆☆

マムルーク朝スルタン・アル・ナースィル・ムハンマド・イブン・カラーウーンが建てたマドラサと霊廟。但し、本人は埋葬されていない

カラウーン・コンプレックス ☆☆☆☆

マムルーク朝時代にスルタン・アル・マンスール・カラーウーンによって建てられた病院、マドラサ、霊廟等からなる複合施設

サリフ・ナジム・アッディーン・アイユーブ・マドラサ(サリヒヤ・マドラサ) ☆☆☆☆

1242年、アイユーブ朝のスルタン・アッサーリフ・アイユーブによって設立されたマドラサと霊廟の複合施設

フセイン・モスク ☆☆☆☆

ムハンマドの孫フセイン・イブン・アリーの霊廟(写真右)があるモスク。1154年に建てられその後1874年に再建された
聖地であり現役のモスクであるため多くのイスラム教徒で溢れるが観光客も入場可

アズハル・モスク ☆☆☆☆

後に「千のミナレットの街」と呼ばれるようになるカイロの最初のモスク。ファーティマ朝時代の970年建造
その名前はムハンマドの娘であるファーティマに与えられた称号であるアズハラ(輝く者)に由来する

スルタン・アル・ムアイヤド・シャイフ・モスク ☆☆☆

建設はマムルーク朝1415年に始まり1421年に完成。アラビア語で「支持者」を意味する

ズウェーラ門 ☆☆

カイロ旧市街の城壁に残る3つの門のうちの南側の1つ。ズウェーラはリビア方面の地名

サーリフ・タラアイー・モスク ☆☆

ファーティマ朝後期1160年に宰相タライ・イブン・ルジークによって建てられたモスク

マリダーニー・モスク ☆☆

マムルーク朝時代のモスク。修理中で入館できず

ベイト・アル・ラザズ ☆☆☆

マムルーク朝時代15世紀に建てられた邸宅

アクスンクル・モスク(ブルー・モスク) ☆☆☆

14世紀の軍人アクスンクルによって建てられたモスク
17世紀にイスタンブールのブルー・モスクを真似て青いタイルで内装を飾ったことからブルー・モスクと呼ばれる

アミール・ハイルバク・コンプレックス ☆☆☆

西暦1502年にオスマン帝国ハイルバク総督によって設立された霊廟
その後、マドラサとモスクを増築し隣接するアミール・アリン・アク宮殿(1293年建設)を併合し住居として使用した


スルタン・ハサン・モスク ☆☆☆

14世紀マムルーク朝スルタン・ハサンによって建てられた巨大なモスク

リファーイー・モスク ☆☆☆

スルタン・ハサン・モスクに向かいあって立つが20世紀の建造物

シタデル ☆☆☆

12世紀、十字軍を打ち破ったサラーフッディーン(サラディン)がアイユーブ朝を興しムカッタムの丘に城塞(シタデル)を建設した
丘の西側に2つのミナレット(尖塔)を従えた大きなドームを擁するムハンマド・アリ・モスクが聳える

ムハンマド・アリ・モスク☆☆☆

ナスィールムハンマド・モスク ☆☆