Quinary - 第五紀

イスラエル


2013年11月にイスラエルとヨルダンを旅しました
と言ってもイスラエルの記事はエルサレム、ベツレヘムのみです

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エルサレム

1km四方に満たない旧市街にユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地がある世界的な宗教都市
1967年の第三次中東戦争時にイスラエルが東エルサレムを占領して以来、現在も実質的にイスラエルがエルサレム全域を支配下に置いているが、国家間の領土問題にもまして宗教的にもその帰属をめぐって問題が尽きない

聖墳墓教会 ☆☆☆

イエス・キリストの墓とされる場所に立つ教会、イエスが磔刑に処されたゴルゴダの丘もこことされる(下の写真、上段中)
教会内には十字架が立てられた場所、イエスが息を引き取った場所、十字架から降ろされたイエスを聖母マリアが受け止めた場所、横たえられ香油を塗った石版、イエスの墓等があり、世界中から信者が訪れる
但し、イエスの死後、戦争による破壊と復興を繰り返すうちにゴルゴダの丘の位置はわからなくなってしまい、後にヴィーナス神殿で聖遺物が発見されたことからここをゴルゴダの丘として神殿を取り壊し現在の聖墳墓教会が建てられた
教会はエルサレム旧市街のアラブ式の住居が密集する中に壁を接して建っており、豪華でも壮麗でもないことが意外だった

ヴィア・ドロローサ ☆☆

イエス・キリストが十字架を背負って歩いたとされる「悲しみの道」または「苦難の道」
磔刑を宣告されたピラト総督の官邸からゴルゴダの丘に至るおよそ1kmの道のりの間に聖書や伝承に基づいた14カ所の留(staion)が設置されている
それぞれいわれがあって留とされており巡礼者はイエスの苦難を思いながらこの道を歩くが、留自体は特段目を引くものではなくあくまでも巡礼の道

昇天教会 ☆

処刑後に復活したイエスがその40日後、弟子たちの前で昇天したとされるオリーブ山に建てられた教会
現在はイスラム教のモスクになっているが昇天教会のドーム自体は使われていないようでガランとしていた

岩のドーム ☆☆☆

「神殿の丘」にある「聖なる岩」を覆ったドーム、イスラム建築ではあるがモスク(礼拝所)ではない
この岩は旧約聖書に登場するユダヤ教の聖地であり、かつてはその上にユダヤ教の「エルサレム神殿」が建てられていた
神殿はローマ帝国時代に破壊されたが、その後イスラム教において預言者ムハンマドが大天使に伴われて昇天した場所とされ、イスラム王朝であるウマイヤ朝時代の7世紀にドームが建設された
現在も「神殿の丘」はイスラム教の管理下にあり入域には厳しい荷物検査があるうえ、「岩のドーム」内部にはイスラム教徒以外は入ることができない

嘆きの壁 ☆☆☆

「神殿の丘」は現在イスラム教管理下にあるが唯一基壇南西部の壁の一部分だけはユダヤ教の管理下にあり、聖地とされる
「聖なる岩」を祀った「エルサレム神殿」が破壊され聖地に立ち入ることさえできないユダヤ教徒がこの壁に向かって嘆き悲しむことから「嘆きの壁」と呼ばれる

イスラエル博物館 ☆☆☆

考古学や現代美術等のセクションに分かれた大規模な博物館
考古学関連の展示が充実しており死海文書に関しては専用のパビリオンがある


ベツレヘム

エルサレムの南方約9km、パレスチナのヨルダン川西岸地区に位置する小都市、イエス・キリストの生誕地とされる
1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領され、1995年以降はパレスチナ自治政府が統治している
町の北側にはイスラエルとパレスチナを隔てる分離壁が延々と続き、パレスチナ側からイスラエル側へ移動する際には検問がある

生誕教会 ☆☆

イエス・キリストが生まれたとされる洞穴の上に建てられた教会
洞穴は地下にあり大勢の信者が列をなして参拝しているが教会も洞穴自体も薄暗く華々しいものではない

分離壁とバンクシーの壁画 ☆☆

分離壁には政治的なメッセージが込められた落書きやストリートアートが描かれているが、社会風刺的な絵で有名なバンクシーが分離壁をはじめ街中の壁面に数点の絵を残している
実際に描かれたのは6点と言われるが、オリジナルは既に失われ残っているものはコピーであるとされるものや偽物とされるものもある等、はっきりしたことは不明